そろそろDOL歴1年となりました。
ちょっとやってみるか!ってだけだった割には長続き。
一年振り返るとなかなか色々あったなぁ。
1番目と2番目に作ったキャラはイング。1番目は操作がわからなくて視界を回せず、座礁して疫病発生し港にも帰れず終了w
黙って2番目を作成して、今度はマニュアルざっと見てからスタート。
しばらくやってみて、どうやらイングが一番強いらしいと気づき、他国でやり直す事を決意する。
3番目がイスパで現在のメインキャラ。1番目をDELできたので、たぶん始めて1週間以上2週間くらいまでの間の出来事かと。
3番目を作成する前に実は本スレで質問しましたw 当時居た人はそんな初心者いたなぁと思い出せる人がいるかもしれません。
質問内容は「一番弱い鯖の一番弱い国はどこか?」これだけです。国はどこもイスパと言われたような。但し、鯖は乙と言われたような気がします。ここでひとつ妥協……本スレの住人の一人から「漏れも能登でやってるけど、能登においでよ」とのレスが!ちょっと逡巡したものの、じゃあ能登でキャラ作っちゃおうかなって感じで能登でキャラを作りました。
ちなみにレスくれた本スレ住人は能登イング軍人で、リスボンの酒場で作成日にお会いして、少しお話ししました。キャラ名は思い出せませんが、親切だったような気がします。当時はイスパもイングも対立なんかしてなかったしね。実にまったりでした。
数週間目に3キャラ目では初めて商会に入る。
色々突っ込みどころも多かった商会生活でしたが、特にイスパ人であることも自覚することもなくまったりとすごすw
ぶっちゃけ、ブーメランもあまりせず、取引上げも知った事か、吹っかけ値切りは1回でいいや!みたいな時代ですwww
この間にディブ星に到達。商会に他に縫製職人がいなかったため、商会人よりも国籍問わず縫製職人との親近感が増しました。
ひとつの契機となる8月2日夜。
このときもまだ商会の人なので、急速に防衛祭りなど参加することもなく。ただ、これを境にフレがPKされる、商会のイング人を支援すると売上持って投資戦直行する、支援艦隊組むと支援した人がブメ中にPKされて戻ってくるとか。まあ色々・・・。また、商会自体が多国籍との名目はあれどフランス国粋色を強めていっていたので、強制解散まで非常につらい時期であったと覚えています。今考えればただ商会抜ければいいだけの話だったんですが(^^;
その間、後のプレイに影響を与えた3人に出会うことになります。さらに年末にかけて組合主犯の人とであったのも大きいw
もしもという話があるのなら、縫製神に会ってなかったらイスパ全体主義とは関わることなく今頃他国人に、ドラクエの人と会わなければ今頃投資せずw 毛の人がいなければオスロは低影響度のまま、 m9(`・ω・)の人がいなければコチンはネデかポルに取られ、且つ北海戦線はもっと低レベルに停滞だったかとwww
ゲームとはいえ、人の出会いと言うものは面白いものです(^^
さらに面白いのが、オスロ44%まで伸ばして、次回何かあればこの手でオスロを燃やす!と密かに決めていたのに、折角の放火権をあっさりと他人に横取りされてしまったという……(^ω^) ええもう、フレになりましたよ! というか、中華だと思ってたのに違ったとはwww
数えればオスロ物語は9ヶ月続いてるんですな。長いなw
エンディング来るまで絶対に諦wめwなwいw
オスマンに亡命しようがポルに亡命しようが、これは単に個人の趣味なので。気が向いたらでいいので付き合ってやってねwww
ちなみに北海エンディングの条件はオスロ取るとかコペン落とすとかと全く関係ないんで、投資戦呼ばれても行きませんからね(^ω^
……早くエンディング来ないかな……

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